中3息子に課金し続けた母が思うこと。
私は、いままで正直大きな挫折をしてこなかったように思う。両親は少しエキセントリックなところはあったけど、まともな人たちで、父は俗に言うエリートだったので特に生活は裕福だったし、中学受験もすんなりとはいかなかったけど、まあ乗り越えた。そのあとは受験もなかったし、勉強が出来ないことでコンプレックスを感じたことはない。
あとは就職もすんなりと決まり、結婚もすんなりと決まった。仕事は色々とあったけど、少しだけ適性があって、大きくは挫折していない。成功もしてないけど。
客観的に見て、全てのことは私の生まれつきの能力では、最高のところまでいっている。私は能力を使い切っている。
と、言い切れるくらいまでいけたのはよかった。
だから、神様は息子をくれたけど、もしかしたら私にとって(今までの私にとってです。)当たり前の子どもではなかった。ステキな子どもですが、わたしには認められなかった。
私はなまじっか仕事をしていて息子に課金ができたから、いいと思うもの効果的だとされているものをどんどん投入した。
ここで言いたいけど、プロの技とは素晴らしいもので、お金をかけることはけっして悪いことではない。
なんちゃらという診断名がつき、ボールが投げられず、側湾症にもなりかけていた息子を野球部のレギュラーにまでしてくれたコーチ。
なんちゃらという診断名がつき、生まれつき、漢字やものの形を覚えきれない問題があることがわかり、漢字を覚え教科書がすんなり読めるようにまでしてくれた目の学校のコーチ。
またなんやらいう難しい診断名で数学の概念がどうしてもわからなかった息子を根気強く教えてくれた家庭教師の先生。
それを素直に頑張った息子も素晴らしい。
だけどもう15歳。
高校受験という親がやってやれる最後のところで、やはりとても難しいことがわかった。
いままで壁がたちはだかると、私の育て方のせいだ。それに私がもっともっとなんとかしてやれば。じゃあもっともっと働こう。ってそうやり方でいままでやってきた。正直息子もそれでなんとかなった部分もある。
だから、この努力はやめるつもりはない。
だけど。
ちょっとしたきっかけがあり、もう私はがんばるのをやめました。
他のものになれ。私の理想ではない。人と比べて君は違う違う違う。せめて人並みになれ。
こんなことをやっていて息子が幸せになれるだろうか。彼には彼のいいところがあるし、それはいまはどうしても開花できないけどいつか咲くまで待つしかない。咲かなくてもいい。
昨日、とある尊敬する人に、息子さんってご飯を出してあげたら「ありがとう」というんだって?そんな子どもいないですよ。
って言われてハッとした。胸にドーンときた。
当たり前だと思っていた息子の素晴らしさに感謝。そして今日、息子が笑顔で生きていることに感謝。
しかーし。
ちょっと学歴アレになるしまあ就職もアレなるやろから、家くらいはなんとかしてやるか。働こう貯めよう。とやっぱり、課金母は思うのであった。