どうでもよしこさん

鉄道系広告会社勤務。このブログは私個人のものであり、所属している団体・組織には一切関係がありません。全ては個人の見解です。

ロジカルハラスメントの、ロジカル刀


ロジカルハラスメントってなんだろうと思っていたけれど、まさに自分がそうだったことに気づいた。

わたしは、それなりに厳しい環境で仕事をしているのかもしれない。ビジネスマナーを知らずに酷い目に遭うことなど日常。そういう生活のなかにいると、それらしい口調で話すことが基本でなんだか嫌な人になってしまう。

ロジックとフレームワークがなければ、仕事の場ではまともに話を聞いてもらえない。だから長年訓練してきたように思う。わたしの案素敵でしょ。えー、なんでわからないのおー。ショック。とか言うてる人間は瞬殺。完無視。

しかーし。少しプライベートで、人に習うことがありまして。料金が発生したらそこはプロやんと判断していつもの感じでわたしにとっては普段の会話だったのだか、内容がキツくて浮いてしまった。

あ、私は思った。わたし、ロジカル刀を振りかざしたね。と。

わたしは知らず知らずのうちに刀を持っていたのだ。わたしは、気持ちよかったのだ。切れ味いいでしょ。頭いいでしょ。わたしは仕事できる人だから。

ロジカル刀はとても便利でバッサバッサと物事を切れる。

しかしながら、それを戦いの場以外で振りかざしてはならぬ。

もし、自分がつまらぬ場でロジカル刀を抜いた時、それは、ロジカル刀を使っているのではない。使われているのだ。

戦いの場以外で、理路整然と話す魔力に気づいたら、斬るべきものは、自らの浅はかさである。

名人ほど容易く刀を抜かないものなのだ。








あなたの仕事は今日も誰かの心に火を灯している。

わたしは、仕事を仕事とあまり感じずに生きていた幸せ者だと思う。楽しいことが沢山あるし、仲間もいる。こんな私でも。

一応プロ集団に属しているからこそ、プロでありたいと思うが、会社員とはプロであることを要求されずマルチを求められる場合もある。 煩わしいし、やめてしまおうとも思うが、やめない一つの理由がある。

それは。

誰かの仕事で心に火が灯る瞬間に出会うことがあるから。特別な何かのプロじゃなくて。

それは出張やロケの現場で。もう制作スタッフさんが、ここしかないから入りましょうかとやまあいの田舎のふらりと入った古いドライブインの油淋鶏が夢のように美味しかったとき。

これまた古い喫茶店で、静かに磨き上げた古いコップのお水がレモン水だったとき。

またまた仕事の合間で。どこでもいいやとクタクタに疲れて入ったチェーンのマッサージのおばさんが、かなりのエステ級の腕前だったとき。


1人でも咲く。1人でも自分の仕事をする。


山間に咲く花は、誰かに見てもらうために咲くのだろうか。

自分の仕事をきちんとこなす人の姿を見ると、心に火が灯る。前を向ける。


さあ。今日も自分の仕事をするのだ。それがつまらないとされているものでも。わかりやすい評価などなくても。


あなたの仕事は、今日も誰かの心を灯している。


⬛︎しかーし、こないだ行ったええ仕事するレストラン。本気でエスプレッソやりすぎてめっちゃ少量で泣きました笑





中3息子に課金し続けた母が思うこと。

私は、いままで正直大きな挫折をしてこなかったように思う。両親は少しエキセントリックなところはあったけど、まともな人たちで、父は俗に言うエリートだったので特に生活は裕福だったし、中学受験もすんなりとはいかなかったけど、まあ乗り越えた。そのあとは受験もなかったし、勉強が出来ないことでコンプレックスを感じたことはない。

あとは就職もすんなりと決まり、結婚もすんなりと決まった。仕事は色々とあったけど、少しだけ適性があって、大きくは挫折していない。成功もしてないけど。

客観的に見て、全てのことは私の生まれつきの能力では、最高のところまでいっている。私は能力を使い切っている。

と、言い切れるくらいまでいけたのはよかった。

だから、神様は息子をくれたけど、もしかしたら私にとって(今までの私にとってです。)当たり前の子どもではなかった。ステキな子どもですが、わたしには認められなかった。

私はなまじっか仕事をしていて息子に課金ができたから、いいと思うもの効果的だとされているものをどんどん投入した。

ここで言いたいけど、プロの技とは素晴らしいもので、お金をかけることはけっして悪いことではない。

なんちゃらという診断名がつき、ボールが投げられず、側湾症にもなりかけていた息子を野球部のレギュラーにまでしてくれたコーチ。

なんちゃらという診断名がつき、生まれつき、漢字やものの形を覚えきれない問題があることがわかり、漢字を覚え教科書がすんなり読めるようにまでしてくれた目の学校のコーチ。

またなんやらいう難しい診断名で数学の概念がどうしてもわからなかった息子を根気強く教えてくれた家庭教師の先生。

それを素直に頑張った息子も素晴らしい。

だけどもう15歳。

高校受験という親がやってやれる最後のところで、やはりとても難しいことがわかった。

いままで壁がたちはだかると、私の育て方のせいだ。それに私がもっともっとなんとかしてやれば。じゃあもっともっと働こう。ってそうやり方でいままでやってきた。正直息子もそれでなんとかなった部分もある。

だから、この努力はやめるつもりはない。

だけど。

ちょっとしたきっかけがあり、もう私はがんばるのをやめました。

他のものになれ。私の理想ではない。人と比べて君は違う違う違う。せめて人並みになれ。

こんなことをやっていて息子が幸せになれるだろうか。彼には彼のいいところがあるし、それはいまはどうしても開花できないけどいつか咲くまで待つしかない。咲かなくてもいい。

昨日、とある尊敬する人に、息子さんってご飯を出してあげたら「ありがとう」というんだって?そんな子どもいないですよ。

って言われてハッとした。胸にドーンときた。

当たり前だと思っていた息子の素晴らしさに感謝。そして今日、息子が笑顔で生きていることに感謝。

しかーし。

ちょっと学歴アレになるしまあ就職もアレなるやろから、家くらいはなんとかしてやるか。働こう貯めよう。とやっぱり、課金母は思うのであった。











 


サラリーマンはいいなあ。俺たちフリーだから。なんてことを思っていてもサラリーマンの前で言ってはいけない。

最近、リモートワークをはじめてから、

とあるフリーの人とチャットで話すことが多くなった。親しく話しをしながら、気晴らしをしていたのですが、やっぱり、こりゃあかんなあと思うことがあって、ちょっと疎遠にしようかなと思うようになった。

そりゃ思うことはたくさんあると思うけど。

 

今サラリーマンにサラリーマンはいいなあって言われると心がざらつく。

 

いや、おまえら好き勝手にやっていたくせに何を今更言うてんねん。とか言いたいわけじゃない。それはその人の人生だから私には関係ない。

 

ただ、サラリーマンをやるにはやるでさ、才覚がいるのですよ。仕事ってさ仕事ができるだけじゃさ、そんなに評価されない仕組みで世の中はできている。

会社では気を使ってサービスのちょいのせをしてくれる人が選ばれる。こういう思いやりってほぼ発注者とか上長のエゴなんで、こんなもんですり減らすのはよくないけど。

それは、仕事じゃない場合もある。飲み会に顔を出すとか昼食行くとか。そんな大げさなことでなくても、ちょっと相手がうれしいことを言ったり。女性だったら、まあこギレイにしてる方はいいね。何かと。

意外とそういうサービスのちょいのせができるひとたちなんですよ。

あと意外と人のために働くことができるひとたちなんですよ。それは才覚と言える。

 

だから。

 

私は、尊敬する。今も出社して経理処理やら、会社の機能をこの状況でも守っている人たちを。

私は、尊敬する。仕方がないよ。今我々ががんばらないと。とITセキュリティなどなどのために、笑って仕事をしてる人たちを。

うちの会社のことだけじゃない。

私は、感動する。今、社会を守るために働いている全ての人を。

 

・・・いつもじゃけんにしててすいません。

 

で、そういう人って今だいたい会社員とか公務員とか職員なんじゃないかな。

 

人には人それぞれの才覚がある。だからサラリーマンを続ける才覚もあり、フリーで大海原で戦える才覚もある。

 

だけど、君の口座に今月振り込まれるギャラは、今、サラリーマンが命の危険を冒して、君が送った紙ベースの請求書を出社して処理してるんだぜ。(まあ急だったからね。これからデジタル決済が始まると思うけど。)

 

だから、サラリーマンはいいなあ。俺たちフリーだから。なんてことを思っていてもサラリーマンの前で言ってはいけない

 

みんなこの先ほんまわからんし。

 

人には人の地獄があるのだ。

 

だから今こそ、弱くなってしまう自分のこころに濃厚接触するのだ。

今日、会社をやっているというひととマンションのエレベーターでいっしょになって、怖いから出張なんていけないですよ。なんて世間話をしたところ、なーに感染する時はどこにいたって感染する。と笑われて愕然とした。

こういう人を上司に持った人は本当に不幸だなと思う。社員の毎日を会社の不勉強でロシアンルーレットにしちゃいけない。

 

命と仕事の天秤を自分でとるという無理ゲーな毎日。これは上の人間だって判断できない。ルールはどこにもない。答えは自分で出すしかない。

 

ただ、思うのだ。

 

もう、プライドしかないんじゃないですかね。

 

どんな時だって何があったって、今まで自分はなんとかやってきた。だから今こそ、弱くなってしまう自分のこころに濃厚接触するのだ。

 

信じるのだ。今までの自分を。

 

なんでもいい。部活で地味な筋トレ頑張った日々とか。意味があるのかわからない英単語をひたすら覚えた日々とか。つまらん仕事をえんえんとやりつつげて耐えた日々とか。周囲から浮いてしまって心もとない日々を笑ってやり過ごした日々とか。

 

さあ、明日も目を閉じて自分を信じたあとは、手を洗って、1日をやり過ごしていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

なぜ、高齢者が街に出るのか考えてみた。

うちの家の近くのスーパーはちいさなショッピングセンターのような感じで、スーパーが主体であるから、ありがたいことに休館してなかった。で、私も食料やら必要なものを買いに出かけたのですが、

多い。なんか多い。何が多いって、高齢者の。しかもおばあさんが。

え、おばあさんがうようよしてますがな。

で、ちょっといいお肉屋さんにわざわざ店員の指導を受けて間隔を大きく空けて行列してたりして。え、そこまでして高いお肉買う必要ある?で

普通に文房具売り場で何か探してたりする。今そんなに急いで探すもんある?

で、老夫婦が、お蕎麦屋さんにいてたり。普通のハンバーガー屋さんにも。うようよしてる。

自分だってスーパーで買い物してたわけですけど、一体何を買ってるんだろうって思ってカートを覗いてみたり、文房具売り場で何か店員に問い合わせたりしているのを耳をすませてみた。

だって、高齢者がそんなに買い物せんでもいい気がしたし、なんでわざわざ今蕎麦屋などなどで外食するんだろうって正直思ったから。

 

で。なんとなくわかった。

 

多分。多分ですけど。

 

目に見えてるのはおばあさんだけど、

多分、おかあさんって自分のことを呼ぶなんもせん夫がいる。そして、おばあちゃんでもある。多分孫を預かっている人もいる。

と、いうのはね。

もしかして、もしかしてですよ。そのおばあさんにこういう事態になっても、ふつうに3食出てくるのが当たり前やと思ってる夫がいたとしたら、主婦の責任は重い。そりゃわらわらとカート押して出かけなしゃあない。

いいお肉屋さんに並んでいたおばあさんたちはこんな時だからこそ家族みんなに元気になってほしかったのかもしれない。

それに、やっぱり気持ちが沈んでごはんなんか作りたくないかもしれない。でも自分ひとりだったら、ジャーに残ったごはんに納豆でいいかもしれないけど、もう、うるさい夫がいるから、じゃあもうサッと食べちゃおうか。ってことかもしれない。

 

で。

 

店員になにやら問い合わせしていたおばあさんは、耳をすましてみると、孫たちがお絵かきするために蛍光ペンのセットを探していた。きっと家で暇をもてあましているから、変わったペンでも買ってあげたかったのだろう。

人のために生きている人は、動かないわけにはいかない。

もしかしたら、家族の生活のために誰かが動かなければいけないとしたら。それは少しずつシェアリングしないといけないんだろうね。用事シェアリング。

 

まあ、ふらふら出かける人は残念な人だけじゃない。

みんな、誰かを支えるために動いている。