なぜ、高齢者が街に出るのか考えてみた。
うちの家の近くのスーパーはちいさなショッピングセンターのような感じで、スーパーが主体であるから、ありがたいことに休館してなかった。で、私も食料やら必要なものを買いに出かけたのですが、
多い。なんか多い。何が多いって、高齢者の。しかもおばあさんが。
え、おばあさんがうようよしてますがな。
で、ちょっといいお肉屋さんにわざわざ店員の指導を受けて間隔を大きく空けて行列してたりして。え、そこまでして高いお肉買う必要ある?で
普通に文房具売り場で何か探してたりする。今そんなに急いで探すもんある?
で、老夫婦が、お蕎麦屋さんにいてたり。普通のハンバーガー屋さんにも。うようよしてる。
自分だってスーパーで買い物してたわけですけど、一体何を買ってるんだろうって思ってカートを覗いてみたり、文房具売り場で何か店員に問い合わせたりしているのを耳をすませてみた。
だって、高齢者がそんなに買い物せんでもいい気がしたし、なんでわざわざ今蕎麦屋などなどで外食するんだろうって正直思ったから。
で。なんとなくわかった。
多分。多分ですけど。
目に見えてるのはおばあさんだけど、
多分、おかあさんって自分のことを呼ぶなんもせん夫がいる。そして、おばあちゃんでもある。多分孫を預かっている人もいる。
と、いうのはね。
もしかして、もしかしてですよ。そのおばあさんにこういう事態になっても、ふつうに3食出てくるのが当たり前やと思ってる夫がいたとしたら、主婦の責任は重い。そりゃわらわらとカート押して出かけなしゃあない。
いいお肉屋さんに並んでいたおばあさんたちはこんな時だからこそ家族みんなに元気になってほしかったのかもしれない。
それに、やっぱり気持ちが沈んでごはんなんか作りたくないかもしれない。でも自分ひとりだったら、ジャーに残ったごはんに納豆でいいかもしれないけど、もう、うるさい夫がいるから、じゃあもうサッと食べちゃおうか。ってことかもしれない。
で。
店員になにやら問い合わせしていたおばあさんは、耳をすましてみると、孫たちがお絵かきするために蛍光ペンのセットを探していた。きっと家で暇をもてあましているから、変わったペンでも買ってあげたかったのだろう。
人のために生きている人は、動かないわけにはいかない。
もしかしたら、家族の生活のために誰かが動かなければいけないとしたら。それは少しずつシェアリングしないといけないんだろうね。用事シェアリング。
まあ、ふらふら出かける人は残念な人だけじゃない。
みんな、誰かを支えるために動いている。