どうでもよしこさん

鉄道系広告会社勤務。このブログは私個人のものであり、所属している団体・組織には一切関係がありません。全ては個人の見解です。

あなたの仕事は今日も誰かの心に火を灯している。

わたしは、仕事を仕事とあまり感じずに生きていた幸せ者だと思う。楽しいことが沢山あるし、仲間もいる。こんな私でも。

一応プロ集団に属しているからこそ、プロでありたいと思うが、会社員とはプロであることを要求されずマルチを求められる場合もある。 煩わしいし、やめてしまおうとも思うが、やめない一つの理由がある。

それは。

誰かの仕事で心に火が灯る瞬間に出会うことがあるから。特別な何かのプロじゃなくて。

それは出張やロケの現場で。もう制作スタッフさんが、ここしかないから入りましょうかとやまあいの田舎のふらりと入った古いドライブインの油淋鶏が夢のように美味しかったとき。

これまた古い喫茶店で、静かに磨き上げた古いコップのお水がレモン水だったとき。

またまた仕事の合間で。どこでもいいやとクタクタに疲れて入ったチェーンのマッサージのおばさんが、かなりのエステ級の腕前だったとき。


1人でも咲く。1人でも自分の仕事をする。


山間に咲く花は、誰かに見てもらうために咲くのだろうか。

自分の仕事をきちんとこなす人の姿を見ると、心に火が灯る。前を向ける。


さあ。今日も自分の仕事をするのだ。それがつまらないとされているものでも。わかりやすい評価などなくても。


あなたの仕事は、今日も誰かの心を灯している。


⬛︎しかーし、こないだ行ったええ仕事するレストラン。本気でエスプレッソやりすぎてめっちゃ少量で泣きました笑





中3息子に課金し続けた母が思うこと。

私は、いままで正直大きな挫折をしてこなかったように思う。両親は少しエキセントリックなところはあったけど、まともな人たちで、父は俗に言うエリートだったので特に生活は裕福だったし、中学受験もすんなりとはいかなかったけど、まあ乗り越えた。そのあとは受験もなかったし、勉強が出来ないことでコンプレックスを感じたことはない。

あとは就職もすんなりと決まり、結婚もすんなりと決まった。仕事は色々とあったけど、少しだけ適性があって、大きくは挫折していない。成功もしてないけど。

客観的に見て、全てのことは私の生まれつきの能力では、最高のところまでいっている。私は能力を使い切っている。

と、言い切れるくらいまでいけたのはよかった。

だから、神様は息子をくれたけど、もしかしたら私にとって(今までの私にとってです。)当たり前の子どもではなかった。ステキな子どもですが、わたしには認められなかった。

私はなまじっか仕事をしていて息子に課金ができたから、いいと思うもの効果的だとされているものをどんどん投入した。

ここで言いたいけど、プロの技とは素晴らしいもので、お金をかけることはけっして悪いことではない。

なんちゃらという診断名がつき、ボールが投げられず、側湾症にもなりかけていた息子を野球部のレギュラーにまでしてくれたコーチ。

なんちゃらという診断名がつき、生まれつき、漢字やものの形を覚えきれない問題があることがわかり、漢字を覚え教科書がすんなり読めるようにまでしてくれた目の学校のコーチ。

またなんやらいう難しい診断名で数学の概念がどうしてもわからなかった息子を根気強く教えてくれた家庭教師の先生。

それを素直に頑張った息子も素晴らしい。

だけどもう15歳。

高校受験という親がやってやれる最後のところで、やはりとても難しいことがわかった。

いままで壁がたちはだかると、私の育て方のせいだ。それに私がもっともっとなんとかしてやれば。じゃあもっともっと働こう。ってそうやり方でいままでやってきた。正直息子もそれでなんとかなった部分もある。

だから、この努力はやめるつもりはない。

だけど。

ちょっとしたきっかけがあり、もう私はがんばるのをやめました。

他のものになれ。私の理想ではない。人と比べて君は違う違う違う。せめて人並みになれ。

こんなことをやっていて息子が幸せになれるだろうか。彼には彼のいいところがあるし、それはいまはどうしても開花できないけどいつか咲くまで待つしかない。咲かなくてもいい。

昨日、とある尊敬する人に、息子さんってご飯を出してあげたら「ありがとう」というんだって?そんな子どもいないですよ。

って言われてハッとした。胸にドーンときた。

当たり前だと思っていた息子の素晴らしさに感謝。そして今日、息子が笑顔で生きていることに感謝。

しかーし。

ちょっと学歴アレになるしまあ就職もアレなるやろから、家くらいはなんとかしてやるか。働こう貯めよう。とやっぱり、課金母は思うのであった。











 


なぜ、高齢者が街に出るのか考えてみた。

うちの家の近くのスーパーはちいさなショッピングセンターのような感じで、スーパーが主体であるから、ありがたいことに休館してなかった。で、私も食料やら必要なものを買いに出かけたのですが、

多い。なんか多い。何が多いって、高齢者の。しかもおばあさんが。

え、おばあさんがうようよしてますがな。

で、ちょっといいお肉屋さんにわざわざ店員の指導を受けて間隔を大きく空けて行列してたりして。え、そこまでして高いお肉買う必要ある?で

普通に文房具売り場で何か探してたりする。今そんなに急いで探すもんある?

で、老夫婦が、お蕎麦屋さんにいてたり。普通のハンバーガー屋さんにも。うようよしてる。

自分だってスーパーで買い物してたわけですけど、一体何を買ってるんだろうって思ってカートを覗いてみたり、文房具売り場で何か店員に問い合わせたりしているのを耳をすませてみた。

だって、高齢者がそんなに買い物せんでもいい気がしたし、なんでわざわざ今蕎麦屋などなどで外食するんだろうって正直思ったから。

 

で。なんとなくわかった。

 

多分。多分ですけど。

 

目に見えてるのはおばあさんだけど、

多分、おかあさんって自分のことを呼ぶなんもせん夫がいる。そして、おばあちゃんでもある。多分孫を預かっている人もいる。

と、いうのはね。

もしかして、もしかしてですよ。そのおばあさんにこういう事態になっても、ふつうに3食出てくるのが当たり前やと思ってる夫がいたとしたら、主婦の責任は重い。そりゃわらわらとカート押して出かけなしゃあない。

いいお肉屋さんに並んでいたおばあさんたちはこんな時だからこそ家族みんなに元気になってほしかったのかもしれない。

それに、やっぱり気持ちが沈んでごはんなんか作りたくないかもしれない。でも自分ひとりだったら、ジャーに残ったごはんに納豆でいいかもしれないけど、もう、うるさい夫がいるから、じゃあもうサッと食べちゃおうか。ってことかもしれない。

 

で。

 

店員になにやら問い合わせしていたおばあさんは、耳をすましてみると、孫たちがお絵かきするために蛍光ペンのセットを探していた。きっと家で暇をもてあましているから、変わったペンでも買ってあげたかったのだろう。

人のために生きている人は、動かないわけにはいかない。

もしかしたら、家族の生活のために誰かが動かなければいけないとしたら。それは少しずつシェアリングしないといけないんだろうね。用事シェアリング。

 

まあ、ふらふら出かける人は残念な人だけじゃない。

みんな、誰かを支えるために動いている。

 

コロナに負けるなっていう言葉が変。ようはいろいろ頑張る生活があかんのと違う?

コロナに負けるな。コロナに打ち勝とう!っていうワードがよくでていますよね。すばらしいことだと思うんですが、今回ばかりは変やなとちょっと思う。いやそりゃね阪神淡路大震災を経験している私にとっては、がんばろう神戸。みたいなワードはとても好きだった。

 

しかーし。

 

今回は家にいたらいい話なんとちがうの?ようは。

 

その、医療従事者とかね。やることがあると思う。研究者とか。しかし、その他の人はそういう人の負担にまず自分がならないように、家におったらええんと違うの。

 

打ち勝とう!負けるな!がんばろうっていうマインドと、せっせと手を洗ったり家にじっとしているマインドとちょっと違うような気がする。

ようはがんばったらあかんのですよ。

まあいえば、もともとふとんにくるまってずっと寝ていても全然平気な人がベスト。ご飯なんかさ、お米炊いてふりかけで3日はいけるっていう人がベスト。あと友達も少なくてそもそも出かける用事もない人がベスト。

 

あ。私や。。。。

 

若い人うんぬん言うてるけど、大人もめっちゃ出てるやん。だってみんな仕事出かけてるやん。ほぼそれなんちゃうの。

 

私のような、仕事はしているけれども引きこもりって感じのなんにもしない人が善で、たとえば、満員電車に揺られバリバリと営業先を廻り、そして夜は花街にお金を落とす。というすばらしい人が悪という。

 

どえらい時代がやってまいりました。

 

そりゃそんなにすぐ転換はできないでしょ。だってそれがすばらしいことだったんだから。

 

とにかく、みんなとりあえずやる気をなくそう。今頑張ったって、どうせなんもないし、なんもないどころか命を落とす。で、うっかりしてると人の命も奪うっていう恐ろしいことになってしまう。それにやってみて面白いんだけど、スカイプとかteamsとかさfacetimeとかさ、己の肉体の場所に縛られない生活っていうのも未知との遭遇ですよ。

 

とりあえず、やる気がある方。1ヶ月だけふぬけになる。ってことなんじゃないですかね。さあ、とりあえず寝ましょう。

「とりあえず会って話そう。」的解決法をしてきた私が気をつけていること。

こんにちは。どうでもよしこです。お久しぶりです。

今、いわゆるリモートワーク中でして。こんな事態になる前に引き受けていた仕事を地道にこなしていくしかない毎日です。どうなるのかなあ。なんて思いますが、今はもう、目の前の手洗い、消毒、うがい。スマホ消毒。それしかないですね。

4月からの仕事ももちろん、延期になったり縮小になったりしています。

同じように、リモートワークなどや出社停止などで家にいる人も多いと思います。

なので、私自身の気晴らしなどなどのためにもブログを再開しますね。前ほど面白くないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

 

しかし、中2になってもうた息子は週に4回ほど個人の家庭教師の先生にスカイプ授業を受けています。また通信教育のテキストも毎月やっているので、だいたいそれで勉強してるかな。あとは学校から山のように課題がきているので、それを教科書などを見ながら勉強しています。ただ、ほんまに勉強せえへんな。ほんまに。

 

しかし。

 

生身の人間がじゃまになってしまった。これは本当に変換期かもしれない。昔は決済もらうにも濃厚接触マスト。しかし濃厚決済なんかやってたらもう何もはじまらない。

 

まずは、生身の体がじゃまな今。、前よりもっと気をつけないといけないのが、メールの言葉でしょうかね。

 

残ってしまう。こじれてしまう。しかし、会って解決できない。私も上司からのメールと電話に必要以上に反応してしまい、きっちりと調べあげて自分が正しいことを証明したりしてとても時間と労力がかかりました。

 

これから、ややこしいことは携帯のフェイスタイムか、スカイプにすることに決めました。オンライン上でも顔を合わせる。それだけでものごとの半分は解決するんですよね、不思議と。言葉はコミュニケーションの20%程度なんですな。

 

では、明日。

 

 

学校は自殺にまで追い込まれてまで行くもんじゃないってことをみんな学習したいい機会。

さっきは、ひさしぶりにブログを書いたので、本当に書き方を忘れてしまって

途中であげてしまった。。。

本当におひさしぶりです。

コロナでいろんなことが変わってきて、うかつにいろんなことを個人のブログでもなかなか言えません。。

 

私自身は、中一息子が、とっても合う家庭教師の先生がたまたま東京の先生で

じゃあ、スカイプでやろうぜ!っていう感じで一昨年からずっとスカイプ授業だったので、今回のおやすみでも1日2時間の授業をしてもらえているのでそれはそれは助かりました。

 

あと、学校ってほどほどにつきあおうって思ってたけど、本当に今回で方針が決まった。いいんじゃないの?いかなくても。学校の勉強は本当に家でも進研ゼミとか

ユーチューブとかで本当に勉強できることがわかった。。。まあ、

極論をいってしまうと、自殺するまで追い込まれていくもんじゃない。ってことをみんな体感したという大きな進歩ですね。

で、息子は毎日家にいてもむちゃくちゃやらんやつということはわかった。

コロナで家にいるし、ちょっと娯楽必要よね。ってことで私もやめてたものをぼちぼちやっていこうかと思ってます。前ほど力はいらずに。

では、明日も生きよう、私花粉症なんでくしゃみしますけどよろしく。

 

なんだかね。気持ちがどんどん追いつかない毎日ですね。しかしなんでしょうかね。

仕事においてはどこまでが不要で不急なのかなとも思うし、なかなかふんぎりがつきません。自粛はした方がいいんだろうけど、なかなかそこまで。。

でも、昨年の